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2009年7月

2009年7月12日 (日)

卵からはじまる、すごくいい話

安東みきえ。児童文学の作家です。

 

「頭のうちどころが悪かった熊の話」(2007年・理論社)を昨年読みました。

それまでは、名前さえ知らなかったのですが、

この作品が、たまたま子どもより大人に受けた(?)というか話題になりました。

かわいくて、動物が主人公なんだけど人間ぽかったり、

ブラックユーモアまではいかないんだけれど、ほんの少し厳しめの笑いがあって、

でも、ものすごく癒される感じがあって、

以来、この作家さんの新作を待っていました。

 

「まるまれアルマジロ! -卵からはじまる5つの話」(2009年・理論社)

 

5つの話は、すべて「卵があった。」ではじまります。

いちばんはじめの、オケラが木の上の卵を月と間違えてしまう、

「オケラのお月見」から、5つめの、「からっぽな卵があった。」ではじまる、

「心配性のコウノトリ」まで、それぞれの話でありながら、

きちんと最後に、卵、すなわち生命の誕生と死が連環する、

かなり感動ものの連作です。

最後のお話では、オケラが月と間違えた木の上の卵から孵った小鳥が、

天使に選ばれた「幸福を運ぶコウノトリ」になります。

そのコウノトリは、お話の最後で一羽のハゲタカと語り合います。

そのハゲタカは、3つめの話「ハゲタカの星」のヒナだったハゲタカの成長した姿。

「ハゲタカの星」もかなり泣けます。

ちなみに、あとの2つは「オオカミのおおきなかんちがい」と「まるまれアルマジロ!」

5つとも、ほんとうにいい話です。

 

安東みきえさんの文体は、過剰さがなく、すごくシンプルな中に、

乾いたユーモアというのか、軽みがあって、表現もさっぱりしていておもしろい。

でも、気がつくと、ボーボー涙が流れていたりします。

実は、それぞれの生きもの(嫌われものも)に、生きるということに、

愛情がたっぷり込められているのです。

最近は、このような動物を主人公にしたユーモラスなお話を書いていますが、

以前は純然たる(?)児童文学を書いていたようです。

2冊ほど読んでみました。

 

「天のシーソー」(2000年・理論社)

「夕暮れのマグノリア」(2007年・講談社)

 

この2冊にも共通しているのは、「生」というものに対しての深い想いです。

「天のシーソー」は10年近く前の作品なので、いわゆる児童文学、という感じ。

小学生のミオを主人公に、妹や近所のお姉さん、

同級生や弟みたいな男の子たちとの、ささいな出来事を通して、

なにげない日常の中で生まれるふとした想いを描いた連作です。

いわゆる児童文学と書きましたが、自分が持っている児童文学のイメージよりは、

やはり明らかに違っていて、まずなんといっても説教くささがないこと。

こどもたちは、いたずらもするし、まちがいもおかすけれど、

それが「教訓」という形では描かれてはいません。

子ども達が、近所に住む一人暮らしの老女を怖い魔女だと言って、

「ピンポン逃げ」をする話「マチンバ」では、最後にそのおばあさんが、

その子ども達のいたずらを、「子ども達が遊びに来てくれる」と喜んでいた、

ということがわかります。

読んでいる方は、思わず感動して涙していても、

本の中の子ども達は、もらったチョコレートを奪い合うだけです。

 

もうひとつの安東作品の特徴は、リアルに子ども達の世界を描いているようなのに、

どこかファンタジーな色合いがあることです。

また逆に言うと、ファンタジーとして描いていながら、リアルなメッセージが、

嫌味なく、説教くさくなく、感じられることです。

そのへんは、割と最近の作品である「夕暮れのマグノリア」に顕著ですが、

「天のシーソー」の中では、「針せんぼん」という作品に感じました。

これは、近所に住む幼い兄弟が、寒い冬の日にミオに会いにきます。

ところがミオには用事があったので明日会う約束をして帰してしまいます。

ところが、そのあとで、二人は少し遠いおばあさんの家に預けられていたのに、

ミオとの約束の日だったのを忘れず、わざわざ歩いてきていたことがわかります。

ミオは後悔して、二人のあとを追い、やがて遠くに幼い二人の影を見ます。

「ミオにはわかりはじめていた。きょうのふたりにはもう追いつけないことが。

ふたりはまた会いにきてくれるだろうし、またおなじようにミオをしたってくれるだろう。

でも、きょうのふたりには二度と会えない。

あの追い返してしまったふたりにはもう二度と会うことはできないのだ。」

読んでいる途中、会いに来た兄弟は実は幽霊じゃなかったのかと思って、

読みながら少し怖くなり、最後のくだりでは、逢魔がときに子どもがいなくなる、

というイメージと重なったり、かなり不思議な世界に誘われました。

そして、この「逢魔がとき」、すなわち「たそがれどき」に異界のものが現れる、

という、これをズバリ、テーマにした作品集が「夕暮れのマグノリア」です。

この連作は、中学生の灯子(とうこ!)を主人公に、それぞれが幽霊と出会うお話です。

断言してしまっていますが、そうなのです。

 

中学生の灯子をとりまく環境は、「フルーツバスケットのように」、

あるとき自分の座る椅子がなくなっている、でも順番が替われば、また座れる、

という、リアルで厳しい世界です。

「いじめ」というほどではないけれど、ある日突然、自分の座る椅子がなくなる。

そのとき、その子は表面は平然としていたとしても、

ほんとうは死にたいほどの孤独感、自分などいなくなればいい、

という自己否定にさいなまれています。

灯子も、自分など死んで石油になった方が、人をあたためられると思ったりします。

でも、灯子は思い直します。

「死んだあとにだれかをあたためたからって、今していることがチャラにはならない。

生まれてきた意味なんて、自分でみつけなきゃずるいんだ。」

 

5つのお話には、それぞれ「○○とのふしぎな○月」というサブタイトルがついています。

それぞれのお話に登場する「幽霊」は、「うらめしや~」の幽霊ではありません。

実は、みんな「がんばれ! がんばって生きろ!」と励ましてくれているのです。

「自分たちができなかったことを、生きて、してほしい!」という、

異界からのメッセージなのです。

 

たそがれどきは「逢魔がとき」、異界へ、死へ、弱い者達は誘われていきます。

大切な人を逝かせないため、逝ってしまったものと、生きているものが、

懸命に守ろうとする「命」。

安東作品にある、このメッセージが、いま、とても心にしみます。

「世界は目に見えているものだけでできているんじゃないってこと。」

なにかが、わたしたちを守ってくれている。

「光と闇の混ざる時間、生と死の境目がぼんやりするころのこと。」

 

安東みきえさん。すてきな作家さんとめぐり会えました。

次の作品が、ほんとうに楽しみです。

 

 

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2009年7月 9日 (木)

王道ヒロインの波乱万丈物語

昔見たモノクロ映画、美女と野獣のような組み合わせだったけれど、

なんともドラマチックで、ロマンチックで、とても好きだった。

ジョーン・フォンテインのジェイン・エア、

そしてロチェスター様はオーソン・ウェルズだった!

懐かしさもあり、それからミュージカルで上演されると聞いて、

小尾芙佐訳「ジェイン・エア」(上下巻・光文社古典新訳文庫)を読んでみました。

 

「ジェイン・エア」は、19世紀のイギリスの女性作家シャーロット・ブロンテ作。

妹のエミリー・ブロンテは「嵐が丘」で有名ですが、

もう一人の妹アンとともに、ブロンテ三姉妹と呼ばれています。

で、牧師の娘だったシャーロットの自伝的作品とも言われる「ジェイン・エア」、

やっぱり古典は、それも不朽の名作とよばれる作品はおもしろい。

とにかく一時流行ったジェットコースター・ドラマとか昼の波乱万丈ドラマとか、

ハーレクインロマンスもの(読んでいないけど)が束になってかかっても、

かなわないくらいに、人生ドラマのすべてが盛り込まれ、あれよあれよというまに、

物語が展開していく、これぞヒロイン物語の王道。

しかも、そこは名作といわれるだけの、気品と美しさがあり、

なによりも物語好きにとって最高なのは、

ヒロインの信念ある生き方と、ハッピーエンド!

 

ヒロイン、ジェイン・エアは、映画では美女が演じていましたが、原作では、

ことあるごとに、「器量はよくないが・・」といわれる、やせっぽちで貧相なタイプ。

のちに大恋愛をするロチェスターも、オーソン・ウェルズが演じたくらいで、

精悍で男らしいけど、顔はね・・というタイプ。

そのあたりの、美男美女ではない恋愛も、けっこう新鮮でした。

ま、それは順を追って書くとして、ジェイン・エアです。

幼くして牧師だった両親を亡くし、叔父の家に引き取られるものの、

その叔父の死後は邪魔者扱い、今なら虐待といってもいいくらいの扱いを受け、

10歳で、厳格で、しかも劣悪な環境の寄宿学校に入れられてしまいます。

ところが、このヒロインは、そんな日々を送りながらも、けっして自分を卑下せず、

正直に自分の思ったことを相手にぶつけていくのです。

叔父の家をやっかいばらいされることになったときも、

自分を虐待し、嘘つき呼ばわりした叔母に、

「あなたがわたしにしたことを、わたしはけっして許さない。

あなたを叔母とは思わない」と縁切り宣言していくのです、たった10歳で。

叔母からジェインは嘘つきで悪い子だと洗脳された寄宿学校の校長に対しても、

屈することはなく、抵抗し、己の主張をし続けるジェイン。

ひもじさや、懲罰、そして疫病。

ついには寄宿学校の劣悪な環境が世間に伝えられるに及び、

校長は失墜、学校の環境も改善されていきます。

その学校で、8年間、最後の2年間は教師としてすごしたジェインは、

18歳にして新しい世界へ、たった一人で旅立ちます。

家庭教師として雇われたソーンフィールドの当主ロチェスターとの出会い、

その館に閉じ込められた彼の忌まわしい過去、

やがて熱烈に愛し合うようになった二人に訪れる別離と、

それぞれの新たな苦難、・・再会。

 

ジェイン・エアとエドワード・ロチェスターは、年の差20のカップルです。

ところが、これが、「ツンデレ」で「超ラブラブ」(古典をこんな表現でいいのか!)

胸がキュンとしちゃうような恋愛なんです。

途中、二人が別れ別れになってからの展開には、

天涯孤独のはずのジェインに、叔父の莫大な遺産が転がり込むと同時に、

野垂れ死に寸前で助けてくれたある家族が、実は従兄弟だったとわかるなど、

ちょっと都合よすぎるのでは、という部分もあるのですが、

まあ、これだけ苦労してきたんだから、いいかなと思ったり。

とにかく、最後の最後まで、自分の信念を、

そしてロチェスターへの愛をまっとうするジェイン・エア、あっぱれです。

みんながそれぞれに幸せな結末も、すばらしい。

 

あんまりおもしろかったので、チケット買ってしまいました。

ミュージカル「ジェーン・エア」(日生劇場)

ジェイン・エアは、松たか子ですって。想像できる。

 

 

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