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2009年6月

2009年6月21日 (日)

遠距離恋愛ってまわり道のことなのか。

読書が図書館頼みなら、映画はTSUTAYA頼みです。

それも旧作・準新作が半額のときがねらいですね。

昨日は劇場公開のときに行く気満々だったのに行かなかった、

という、いつまでも気になっていた洋画2本借りてきました。

大好きな映画監督ウォン・カーワァイの『マイ・ブルーベリー・ナイツ』と、

『ラスト・コーション』がよかったアン・リー監督の『ブロークバックマウンテン』。

アジア映画の監督が好きみたいですけど、まあそうです。

かつての香港映画(返還前)には、いろんな感性が混ざり合った、

特別な活気とパワーがあって、俳優もスタッフもほんとうに魅力的でした。

この2人も、そのころから活躍していましたが、いまや世界的な映画監督に。

今回はそれぞれアジア系ではない俳優を使い、

アジア圏ではない場所で撮った映画です。

 

それにしても、まったく偶然なのですが、この2本には共通テーマがありました。

“遠距離恋愛”、そしてそれは“距離”と“時間”です。

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』は、とてもわかりやすい。

失恋したての女の子は、恋人の家の鍵を預けたカフェで、

なぜかいつも売れ残るというブルーベリーパイを食べます。

マスターは、そのパイをメニューからはずそうとはしません。

いつか食べたいと思ってくれる人がくるはずだから。君みたいに、と。

傷心の女の子は、優しいマスターと甘いブルーベリーパイに慰められます。

そして彼女は失恋を引きずる自分にサヨナラするために、

目の前の横断歩道を渡らずに、いちばん時間のかかる遠回りをしようと旅立ちます。

そうなんですね、目の前の横断歩道を渡った先には、マスターのカフェがあるはず。

彼女は大陸横断バスを乗り継ぎながら、

どんどんカフェのあるニューヨークから遠ざかり、

食堂やバーで働きながら、いろいろな人と出会い、

感じたこと、想いを書き綴り、マスターに手紙を出します。

なぜ電話をしないんだという常連客の問いかけには、

手紙の方が想いが伝わることもあるから、と答えます。

こうして、どんどん遠ざかりながら、どんどん近づいていく、

女の子とマスターの遠距離恋愛が描かれていくのです。

 

目の前の横断歩道を、いちばん遠回りして渡ろう。

ここらあたりの感覚が、いかにもウォン・カーウァイらしいですね。

ほんとうに大事なものは、時間をかけて手に入れる。

ある日、昨日の続きのように、目の前の横断歩道を渡って、

女の子がカフェにやってきます。

そして、昨日の続きのように、マスターは売れ残りのブルーベリーパイを、

彼女の指定席に出すのです。

観終わると、無性にブルーベリーパイが食べたくなって、旅がしたくなります。

 

『ブロークバックマウンテン』は、ワイオミング州のブロークバックマウンテンで、

放牧された羊の管理をする仕事で出会った二人のカウボーイの、

20年にわたる秘密の関係を描いた作品です。

20歳そこそこの若者が経験する、山奥での過酷な仕事。

でも、二人の関係が友情からもっと先に進んだとき、

その場所は二人にとっての楽園に変わります。

たった数ヶ月の楽園の日々が忘れられずに、

それから20年間にわたる彼らの苦しみが始まるのです。

同性愛者と知れればリンチで殺されてしまうような場所で、

彼らは互に女性と結婚し子どもをもうけ、年に何度か、二人だけで山に行きます。

テキサスで結婚した若者は、14時間かけて恋人に会いに来るのです。

それでも、二人は“愛”を口にすることはありません。

ただ、二人で山にいる時間だけが、彼らにとってのほんとうの時間なのです。

20年間、でも会っていた時間はつかの間。

そして、一人が路上で突然の死を迎えます。

事故だといわれますが、もう一人の男には、

リンチで惨殺される男の最後がリアルにイメージされるのです。

残された男は、離婚し、トレイラーで暮らすほどに落ちぶれて行きます。

でも、彼はやっと本来の自分として生きられる場所にたどり着いたのです。

恋人が送ってくれたブロークバックマウンテンの絵はがきと、遺品のシャツに、

彼は毎日のように語りかけるのでしょう。

「これからは、ずっといっしょだよ」と。

 

愛を愛だと言えないために、彼らはほんとうにまわり道をしました。

いっしょに牧場で暮らそうという夢を、生きているうちには実現できなかった。

なんか、泣けて仕方なかったです。

 

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』 My Blueberry Nights (2007/香港・中国・仏)

監督/ウォン・カーウァイ 出演/ノラ・ジョーンズ、ジュード・ロウ

『ブロークバックマウンテン』 Brokeback Mountain (2005/米)

監督/アン・リー 出演/ヒース・レジャー、ジュイク・ギレンホール

 

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2009年6月20日 (土)

猛スピードで君は

と、いつか読んだ本のタイトルをお借りしてみましたが。

 

安蘭けい、大手芸能プロダクション「ホリプロ」所属を発表、

同時に、年末のコンサートも決定!

 

もちろん、うれしいんですけど。

会見では「映像」にも意欲を見せていたようですが、

そこらあたりは、ちょっと不安で、あまり賛成できないというか、

できたら舞台に専念して欲しいんですけど。

大手芸能プロというのも、その他大勢の扱いにならないか心配だし、

あ~、でも個人事務所とかだったら、それはそれで心配かも。

 

一ファンごときがそんなこと心配してもね。

本人は、アイーダ製作発表のときの、いくぶん力の入り過ぎた感のある「女装」から、

格段の進歩を遂げたナチュラルな女らしさの感じられるいでたちで、

とっても綺麗で優しげな微笑をカメラに向けておりました。

そして、これはきっと今後の売りになるのか、今回も「美脚」を披露。

綺麗なものは綺麗なんだからバシバシ出してもらって結構。

で、コンサートはほんと~に、楽しみです!うれしいです!

なんとかついていきますとも!

 

安蘭けいファースト・コンサート「UNO」

12.16-20 東京国際フォーラム

12.23-25 梅田芸術劇場

 

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2009年6月17日 (水)

光源氏に八つ当たりしてみる

お金がないということは、悲しい。

心待ちにしていた村上春樹の新作を、未だに入手できていないのは、

売り切れで書店にないからではありません。

発売日前から、毎夜パソコンに向い、今日こそは予約を入れられるかと、

図書館のホームページを監視し続けながら、ようやく予約できたのは、

発売日の夕方、すでに予約件数は200件を越えていた!

別に、誰よりも早く読みたいとは思わないけれど、いったいいつ読めるのかと、

気が遠くなる。でも場所によっては、すでに千件近い予約があるらしいから、

まだましなのか。ていうか、そんなに読みたいのに買わないのかって話で。

以前は、春樹(いきなり呼び捨て)の新作は必ず買っていたのに。

今は、文庫になったら絶対買おうと思っていた中山可穂さまの『ケッヘル』さえ、

未だ買えていないほどに、はっきりいって金欠なのですよ。

(もちろん、もう既読ではありますよ)

なぜなのかは書くまでもなく、ご贔屓様の退団公演で使い果たし、

立て直す間もないままに、アイーダの先行販売に追いまくられ、

はっきりいって火の車です~。どうしよう。ほんとに。

はぁ~。

 

まあ、それはそれとして、読みたい本はいっぱいあります。

春樹のケースは特別として、だいたいは図書館でなんとかなるのですが、

ここのところは『源氏物語』を円地文子訳(新潮文庫・全6巻)でのんびりと読み進め、

4巻まで読み終えたところで、後の2巻が貸し出し中でストップ状態。

こういうところが、ちょっとつらいところではありますね。

ま、これはちょうどきり良く、紫の上が身まかり、嘆き悲しむ光源氏が、

現世に未練たらたらで出家もできないままに、

情けない中年男の無様さをさらしたあげく、

「雲隠」という題名だけの巻で終わるという、痛快さ!

なにが痛快って、題名だけのこの巻は、光源氏の死を暗示している、

と注釈にあるわけですから、もう、なんというか、紫式部、すごいです。

これだけ引っ張った、大主人公である、光のごとく美しく、

なにもかもが並ぶものがないほどに完璧と形容されつくした稀代のプレイボーイが、

その死をひとことも形容されないどころか、描写もされずに終わるのですから。

さすが、紫式部、いやはや、やはり女性なのですね。

でもこれを「報復」と読むのは、穿ちすぎなんでしょうか。

紫式部は、哀れすぎて書けなかっただけかも。それくらい惨めな最後でした。

なんて、よっぽど嫌いなんですね、自分。

だって、読めば読むほど腹立たしい男なんですもの~。

あまりに美しい訳文で、夢のような雅な世界で、情緒たっぷりで、

ついついうっとり読んじゃってますけど、こういう男は心底腹立たしい!

別にね、男であれ女であれ、恋多き人が嫌いってことではないんですよ。

あんなに好きだった想いが冷めていき、ほかの人を好きになってしまった、

っていうのはわかるんです。ていうか、しかたのないことだと思うし、

それの繰り返しの恋多き人は許せるんです(お前は何様か!)。

でもさあ、光源氏の場合はさあ、この女性が並ぶものなく最愛の人であるっていう、

紫の上がいるのに、(しかも、この姫は子どものときにさらわれるようにして、

光源氏のもとにきて、理想の女として育てられ、いつのまにか妻になっていたという、

光源氏のためだけに生きた、というより生かされていた、

実は、かなりかわいそうな女性なのです。カッコが長いな)

それをわかっているのに、ふらふらと他の女に気がいってしまい、

気持ち悪いくらいにしつこく口説き倒して、養女に懸想したり、

ひとの女に手を出しちゃったり、あげくは、紫の上が死にそうなときにさえ、

ほかの女のところに泊まっちゃったり、というサイテーの男です。

なんといっても自他共に認める最愛の女性を、結局幸せにできなかった男ですから。

紫式部も、この上なくすばらしい女性として描いた紫の上に、

子どもも持たせず、ほんとうに光源氏のためだけにあった女性として描き、

さみしく、不安な、満ち足りぬ思いの中で死なせてしまいます。

そして残された光源氏は、そういう思いの中で死なせてしまったことを悔いますが、

それでもなお、女(現世)には未練たらたらなところを描くほどに、

紫式部の光源氏に対する突き放し方は、辛らつであり、小気味いいほど。

 

あれあれ、なんだか怒りにまかせて、読了していない『源氏物語』のことばかり

語ってしまいましたが、そんなわけで、『源氏物語』も先を読めない、

春樹の新作も読めないという状況の中、

『英雄の書』(宮部みゆき)とか『テンペスト』(池上永一)とか読みました。

「物語」が好きなので、両方とも面白く読みましたが、ちょっとずつ不満もありました。

それを書き始めると、また長くなるので、気が向いたら書きます。

早く『源氏物語』の続きが読みたいな。

いよいよ薫とか匂宮とか、光源氏の子どもや孫達のお話になっていくのだと思います。

あっそうそう、3巻途中までだった『完訳 三国志』の方も、読み始めました。

 

しかし、これって、どういう記事なんでしょうね。

地位も名誉もお金も女にもことかかなかった光源氏でも幸せではなかったってこと?

何もなさすぎるのもどうかと思いますけどね。

ま、「八つ当たり」ってことですか。

 

 

 

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2009年6月15日 (月)

いつのまにか・・・

ご贔屓様が退団されてから、宝塚観劇はお付き合い程度になりました。

でも、まだ二月もたっていないのに3公演観てたりして。

で、その3公演目が、6月9日(火)に観劇した宙組公演でした。

「薔薇に降る雨」(作・演出 正塚晴彦)

「Amour それは・・・」(作・演出 岡田敬二)

 

この公演は、主演コンビ、大和悠河&陽月華の早すぎる退団公演です。

早すぎると思うのは、良くも悪くも、未熟なまま終わる感じだからです。

自分にとってのこの二人のベストプレイは、「雨に唄えば」。

わがご贔屓、安蘭けい様の主演作品です。

今回の公演を観劇後、無性に観たくなって、DVDを観賞。

やっぱり、いいんですよ、コズモ(大和)もキャシー(陽月)も!

もちろん、ドン(安蘭)にはうっとりです~。

「雨に唄えば」は、ジーン・ケリー主演のミュージカル映画をもとに、

ブロードウェイで舞台化された作品の宝塚版、日生劇場での公演でした。

今度、とうこさんの女優第1作として上演される「アイーダ」のもととなる、

「王家に捧ぐ歌」の初演と同じ年だから、6年前ということになります。

このときリナちゃん(女役)を演じた現花組主演男役、真飛聖を含め、

主要キャスト4人とも、その後トップスターになったという意味でも、

記録にも記憶にも残る作品です。

すでにスターだった当時星組の安蘭、真飛と、月組から宙組へ移籍の大和に加え、

まだ海のものとも山のものともわからない娘役の陽月華ちゃん、大抜擢でした。

とにかくフレッシュでキュートで、ちょっと生意気で鼻っ柱が強いんだけど、

夢見る乙女な部分もあるハツラツとした女の子役がピッタリでした。

すでに大人の男の包容力を見せる安蘭ドンとの脚立を使ったラブシーンは、

ファンの間では語り草となっている名シーンですが、

ういういしくて、気持ちがあふれていて、何度観ても顔がニヤケてしまうし、

うっとりしてしまう大好きな場面。

ミュージカルナンバーもみんな素敵で、ダンスはほとんどがタップでした。

とうこさんのインタビューでも、このタップの大変さは何度となく語られていて、

まるで部活のような血(靴ズレ!)と汗と涙のお稽古だったようです。

だからこそ、そのお稽古をともに乗り越えたメンバーには、

まさに青春!スポ根!の熱い絆が結ばれている感じがして、

その後、それぞれの道でそれぞれの立場で活躍しているメンバーのことは、

とうこさんオンリーワンのファンとしても、あたたかい気持ちで見守っていました。

ドンとコズモとキャシーの三人で唄い踊る「グット・モーニング」は、

映画が失敗して落ち込むドンを二人が励ます楽しいナンバー。

 

嫌なことがあった今日も、知らない間に終わっていた。

いつのまにか、朝になっている。

新しい朝、ごきげんよう!

 

というような(超意訳)、前向きな歌詞。

大和さんが演じたコズモも、いつも明るく前向きなキャラクター、

ひとりで唄い踊る「笑え」の場面では、まさに身体を張った熱演、

ドンとのやりとりも息があって、楽しそうに舞台に息づいていました。

 

陽月華ちゃんが、星組から宙組に移動となり、大和さんと主演コンビに。

アイドル・コンビと言われたけれど、そんな雰囲気の作品は少なかったような。

まだ二人の本来の魅力を発揮できる作品ができたのではないかと思うものの、

もう決まったことなので、前向きに、これからの二人の未来に目を向けましょう。

「新しい朝」、旅立ちをお祝いして。ごきげんよう!

あっ、公演はまだ続いておりますよ。

 

「薔薇に降る雨」「Amour それは・・・」

東京宝塚劇場 2009.6.5ー7.5

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2009年6月 4日 (木)

幸せな子ども時代(その2)

「展覧会」というカテゴリーを作りながら、ゾーヴァ展だけなのは、あんまりなので。

というか、そもそも、この展覧会に行く予定だったので、立てたようなものなので。

 

もうとっくに終わってしまっていますが、

「ムーミン展」

2009年4月29日-5月18日  大丸ミュージアム・東京

もちろん行ってきました。最終日に。

 

今回の展覧会は、日本・フィンランド修交90周年の記念のもので、

フィンランドのタンペレ市立美術館・ムーミン谷博物館に所蔵されている、

トーベ・ヤンソンによる原画やスケッチなど約170点が展示されました。

ほんとうは、ヤンソンのパートナーであるトゥーリッキ・ピエティラらの手になる、

ムーミン屋敷の立体模型も展示されると誤解していて、

いちばんの楽しみにしていたのですが、展示されていたのは、

ムーミンの立体模型で、もちろんこれも門外不出、

日本初公開の貴重品ではありました。

それにしても、あらためて展示されたスケッチなどを見て感じたことは、

当たり前なのですが、ほんとうに絵が上手いということ。

インク画の線の、なんともいえないライン、そして緻密さ。

こんな絵が描けて、こんな物語が書けるヤンソンの才能に、

めちゃめちゃうらやましさを感じるとともに、揺るぎない自尊心を持ち、

自然を愛し、自由に気ままに生き抜いた姿勢には、ほんとうに感服します。

そんなヤンソンの人となりを作り上げたのは、やはり芸術家であった両親と、

森と湖の国、フィンランドの自然だったのだと思います。

展覧会の後、トーベ・ヤンソンの自伝的短編小説『彫刻家の娘』を読んだのですが、

そこでのキーワードも、やはり“幸せな子ども時代”でした。

空想が好きで、冒険が好きなヤンソンの子ども時代は、

まさにムーミン谷での生活そのまま。

ムーミンパパもムーミンママも、スナフキンもいる。

いくつかのエピソードは、ムーミン童話の中に生かされていました。

幸せな子ども時代の記憶。

そしてその思い出を、過去のものとしてではなく、自身の生の基盤とすることで、

終生、少女のように、子どものように、空想を、冒険を楽しんで生きた。

それが、トーベ・マリカ・ヤンソンだったのです。

ちなみに、この展覧会のチラシに書かれていたキャッチコピーは、こんな感じ。

 

「コドモだった昔も。

オトナになった今も。」

 

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2009年6月 2日 (火)

中世の不思議世界を舞台化

歌舞伎で有名な小栗判官の、愛と転生の壮大な物語を、宝塚がミュージカル化。

ただし、通常の大劇場公演ではなく、その合間に行われ、

若手や二番手以下の生徒の活躍の場ともいえる、小劇場公演での試みです。

 

『ミュージカル オグリ!』

東京では、日本青年館で、5月26日から6月1日まで上演されていました。

観にいったのは、5月29日(火)。

花組三番手ながら、現二番手(大空祐飛)が主演での宙組移動が決まっているので、

実質二番手お披露目的な公演となった、壮一帆主演、

まさに見事なお披露目、そのまま主演に躍り出るのかというくらいの、

勢いの感じられる舞台でした。

作・演出は、次回『The Musical AIDA』でとうこさん(安蘭けい)と再び組む、

木村信司先生、なんとも頼もしい充実振り。

 

なんといっても、幕開け、舞台中央にでんと置かれた巨大な白馬の顔。

その顔の大きさに比例するような太い竹の背景、

非日常の空間、人と神がともにある中世の不思議な世界が立ち現れました。

このセットというか、美術がとにかく効いていましたね。

この巨大馬頭が表裏で効果的に使われ、

また巨大な観音の手の上での、小栗と照手姫のラブシーンもあり、

神のごとく猛々しい暴れ馬を見事乗りこなすという場面での、

絵馬を使った趣向といい、おもしろおかしく見せるアイディアというより、

中世という時代の不思議さ、おおらかさが、かもし出されていたのがすばらしく、

その物語世界にどっぷりとはまる快感を堪能しました。

小栗判官は文武両道に優れ、美丈夫でもあり、

池の神の化身である大蛇と交わった罪で京から追放されるも、

流された相模の国では忠実な家臣にかしずかれた殿様生活、

絶世の美女、照手姫も難なく手に入れるという、豪快な男。

壮一帆さんは、剣道をやっていたというだけあって、和物の形ができており、

まっすぐな竹の如くの若武者ぶりで、ほれぼれするほど。

一方の照手姫は、小栗との結婚を許さぬ父親の陰謀で夫・小栗を殺害され、

ともに亡き者とされようとしたところを、家臣に助けられ、

流された先で人買いによって、次から次へと売られた挙句、

遊女屋の下働きにまで身を落とすのですが、その才覚とけなげさで、

まったく不幸感のない、胸のすくヒロイン像で、演技巧者の野乃すみ花、

好演しています。(宙組次期主演娘役、おめでとうございます。)

そんな魅力的な主人公二人にからむ人物も、人間の欲やずるさを遺憾なく発揮、

おおらかな人生賛歌ともいうべき物語世界を形作るのに、

かかせないスパイスとなっています。

それにしても、あの馬の名前、オニカゲ?とかといったけれど、

存在感においては、ナンバー1でした。

惜しむらくは、中央の席で、真正面から目を合わせて見たかった!

きっと、もっと魅せられてしまったことでしょうね。

いや~、おもしろい舞台でした。 

 

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