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2008年12月21日 (日)

ベットの幼児性~彼女が恐れるもの

『The L Word』シーズン4のバスケシーンは、何度見ても声を出して笑ってしまいます。

なんといってもベットがおもしろすぎる。

怒りまくるベットに、「おどかさないでよ」というジョニーもかなりおもしろいのですが。

たかがバスケの試合に、ムキになっちゃうベットって、ほんとうに子ども。

まわりはたまらないなと思うけれど、かわいい女性だなとも思います。

 

『The L Word』S1~S4まで観て、改めて思ったこと、

それは、このドラマが「ベット・ポーターの物語」なんだなということです。

もちろん、群像劇であり、さまざまな人生模様を描いているわけでもあり、

けっして少なくない人数のキャラクターが、ドラマを成立させているのも確かです。

それでも、これは、やはり「ベット・ポーターの物語」なのです。

あのベットの、何ごとにも負けたくないという気性は、

単に勝気とか負けん気とかいうよりも、はっきりいって幼児性なのではないでしょうか。

なぜ、あんなに頭がよく、有能で、すばらしいキャリアを持つ女性が、

しかも美人で友達思いの女性が、自分の感情もコントロールできないほどに、

子どもなのでしょう。

そういうキャラクターを主人公にしたところに、このドラマの肝はあると思うのです。

 

大人になるということは、世界は自分中心に動いているわけではない、

他者との関係の中で、成り立っているのだと知ることだと思います。

その意味では、ベットは「ベットの世界」にいまだ生きている子どもなのです。

コントロール・フリークと言われるのも、そのためです。

そんなベットの幼児性は、多くの人を引きつけもしますが、ときに傷つけます。

でも、自分は傷つきたくない。

追い詰められたときほど、ベットの逆襲はすさまじいものとなります。

傷つかないように、無意識のうちに、保身が働く、自分を守る、殻に閉じこもる。

母親の胎内に回帰する幼児のように、小さくからだをまるめて。

完璧な鎧のような外見の奥底に在るベットの姿は、そんなふうに見えるのです。

 

ベットは母親を早くに失っています。

母親の像は、彼女の中で、とても曖昧で、抽象的なものとなっているのです。

無償の愛で、自分を守ってくれるものはいない。

おそらくベットは、強くあろうと自分に言い聞かせながら生きてきたのでしょう。

自立心が強く、完璧主義なのもその結果なんですね。

全面的に相手に自分をゆだねることは、おそらくベットにはできないのです。

(幼児にとっての母親とか、よっぽどの相手でないと誰しもできないことですけど)

守られるという概念も、無償の愛という概念も、もしかすると彼女にはないのかも。

これは少し言いすぎでしょうか。

もっと言えば、彼女は「愛」というものを知っているのでしょうか。

「愛」とは、その人を自分のものにすることではないことを。

それでも、無意識のうちに、母のような愛を求めたベットはティナと出会いました。

ところがティナもまた、「自分の思い通りにならない」相手でした。

それは当たり前のことなのに、ベットにはそれが許せません。

子どもだから。

パートナーは、おもちゃやアートじゃない、意志を持つ人間なのに。

ティナを失って、自分のものだったものを失う喪失感にベットは傷つきます。

アンジェリカに執着したのも、そのためです。自分のものだから。

普通なら、このあたりでベットは大人になるべきでした。

喪失というものは、人を大人にしていきます。

ところが、ベットは大切なものを「失った」とは思わないように、

自分で自分の感情を操作してしまったのです。

ティナは「失った」のではなく、自分の世界から「去って」いったのだと。

悪いのはティナなのです、自分ではない。

だから、最初は悔しくて怒り狂ったけれど、許してあげます。

「今でもあなたを愛している」「わたしは間違ったのかもしれない」

というティナに、「そんなことは考えちゃいけない」などと寛大に言うのも、

だからこそです。

許すことで、喪失感をなかったものにしてしまったのです。

「わたしは何も失っていない、ほら、新しい恋人もみつかった」というわけ。

ちょっと意地悪な書き方をしてしまいました。

 

で、ここから先が少し迷路にはまりこんだ感じなのです。

ジョディと出会ったベットは、恋に落ちていきます。

そうですね、ことごとく自分にさからうジョディは、ティナとは正反対です。

最初から「自分の思い通りにならない」女性です。

なのに、どうしようもなく惹かれていく。

怖いものに近づいてしまう子どものように。

ついにジョディに降伏宣言をしに行くベットは、手話で、「あなたが怖い」と伝えます。

「あなたを愛することが怖い」のか、

「あなたを愛せるかどうかわからない」から怖いのか。

もしかすると、もっと単純な意味で、「愛し方がわからない」からとか。

はじめてのことに挑戦するときは誰でも怖いものです。

でも、恋が初めてなわけでもないのに。

あるいは、こんなふうに考えます。

全面的に相手に自分をゆだねられないベットは、つまるところ、他者が怖いのです。

自分以外の他者のことは、わからない、心が読めない、疑わしい、怖い。

でも、「怖い」とはっきり口にしたベットは、たぶん一歩前進なのです。

ジョディが、ベットに「さあ歩いてごらん、怖くないよ、ここまでおいで」と、

手を差し伸べたからです。

「怖いと思うことほど、立ち向かわなければならない」とジョディは言います。

泣き出してしまうベットは、ほんとうに赤ん坊のようです。

ジョディの前で弱さをさらけだし、その手の中に身をゆだねます。

一度は、そうでした。

しかし、付き合い始めた途端に、もう相手のことがわからなくなって、

疑わしくなって、怖くなってしまうのです。

シーズン4のラストで、ベットはティナのアドバイスのもと、

(自分ではどうしたらいいかわからないから)

一度はこじれたジョディとの関係を振り出しに戻します。

でも、この時点で、どうやらベットは他者がわからない以上に、

自分がわからなくなっているみたいなのです。

自分がほんとうは何を求めているのか、何が怖いのか。

つまり、彼女が恐れているのは、自分自身なのかも。

 

ドラマは、いよいよ核心に入っていくことになります。

ベットがベットであるところの自信を取り戻し、

他者を他者として受け入れ、尊重し、

彼女らしく歩いていくために必要なもの、それがなんであるかを、

自分自身で決められるのか否か。

S5の物語の方向性については、薄々は知っています。

で、正直言って、とても不安です。でも、こればかりは観てみなくてはわからない。

安易な結末でないことだけを祈ります。

って結末は、S6まで、さらにお預けなんですよね。

 

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