ベットの幼児性~彼女が恐れるもの
『The L Word』シーズン4のバスケシーンは、何度見ても声を出して笑ってしまいます。
なんといってもベットがおもしろすぎる。
怒りまくるベットに、「おどかさないでよ」というジョニーもかなりおもしろいのですが。
たかがバスケの試合に、ムキになっちゃうベットって、ほんとうに子ども。
まわりはたまらないなと思うけれど、かわいい女性だなとも思います。
『The L Word』S1~S4まで観て、改めて思ったこと、
それは、このドラマが「ベット・ポーターの物語」なんだなということです。
もちろん、群像劇であり、さまざまな人生模様を描いているわけでもあり、
けっして少なくない人数のキャラクターが、ドラマを成立させているのも確かです。
それでも、これは、やはり「ベット・ポーターの物語」なのです。
あのベットの、何ごとにも負けたくないという気性は、
単に勝気とか負けん気とかいうよりも、はっきりいって幼児性なのではないでしょうか。
なぜ、あんなに頭がよく、有能で、すばらしいキャリアを持つ女性が、
しかも美人で友達思いの女性が、自分の感情もコントロールできないほどに、
子どもなのでしょう。
そういうキャラクターを主人公にしたところに、このドラマの肝はあると思うのです。
大人になるということは、世界は自分中心に動いているわけではない、
他者との関係の中で、成り立っているのだと知ることだと思います。
その意味では、ベットは「ベットの世界」にいまだ生きている子どもなのです。
コントロール・フリークと言われるのも、そのためです。
そんなベットの幼児性は、多くの人を引きつけもしますが、ときに傷つけます。
でも、自分は傷つきたくない。
追い詰められたときほど、ベットの逆襲はすさまじいものとなります。
傷つかないように、無意識のうちに、保身が働く、自分を守る、殻に閉じこもる。
母親の胎内に回帰する幼児のように、小さくからだをまるめて。
完璧な鎧のような外見の奥底に在るベットの姿は、そんなふうに見えるのです。
ベットは母親を早くに失っています。
母親の像は、彼女の中で、とても曖昧で、抽象的なものとなっているのです。
無償の愛で、自分を守ってくれるものはいない。
おそらくベットは、強くあろうと自分に言い聞かせながら生きてきたのでしょう。
自立心が強く、完璧主義なのもその結果なんですね。
全面的に相手に自分をゆだねることは、おそらくベットにはできないのです。
(幼児にとっての母親とか、よっぽどの相手でないと誰しもできないことですけど)
守られるという概念も、無償の愛という概念も、もしかすると彼女にはないのかも。
これは少し言いすぎでしょうか。
もっと言えば、彼女は「愛」というものを知っているのでしょうか。
「愛」とは、その人を自分のものにすることではないことを。
それでも、無意識のうちに、母のような愛を求めたベットはティナと出会いました。
ところがティナもまた、「自分の思い通りにならない」相手でした。
それは当たり前のことなのに、ベットにはそれが許せません。
子どもだから。
パートナーは、おもちゃやアートじゃない、意志を持つ人間なのに。
ティナを失って、自分のものだったものを失う喪失感にベットは傷つきます。
アンジェリカに執着したのも、そのためです。自分のものだから。
普通なら、このあたりでベットは大人になるべきでした。
喪失というものは、人を大人にしていきます。
ところが、ベットは大切なものを「失った」とは思わないように、
自分で自分の感情を操作してしまったのです。
ティナは「失った」のではなく、自分の世界から「去って」いったのだと。
悪いのはティナなのです、自分ではない。
だから、最初は悔しくて怒り狂ったけれど、許してあげます。
「今でもあなたを愛している」「わたしは間違ったのかもしれない」
というティナに、「そんなことは考えちゃいけない」などと寛大に言うのも、
だからこそです。
許すことで、喪失感をなかったものにしてしまったのです。
「わたしは何も失っていない、ほら、新しい恋人もみつかった」というわけ。
ちょっと意地悪な書き方をしてしまいました。
で、ここから先が少し迷路にはまりこんだ感じなのです。
ジョディと出会ったベットは、恋に落ちていきます。
そうですね、ことごとく自分にさからうジョディは、ティナとは正反対です。
最初から「自分の思い通りにならない」女性です。
なのに、どうしようもなく惹かれていく。
怖いものに近づいてしまう子どものように。
ついにジョディに降伏宣言をしに行くベットは、手話で、「あなたが怖い」と伝えます。
「あなたを愛することが怖い」のか、
「あなたを愛せるかどうかわからない」から怖いのか。
もしかすると、もっと単純な意味で、「愛し方がわからない」からとか。
はじめてのことに挑戦するときは誰でも怖いものです。
でも、恋が初めてなわけでもないのに。
あるいは、こんなふうに考えます。
全面的に相手に自分をゆだねられないベットは、つまるところ、他者が怖いのです。
自分以外の他者のことは、わからない、心が読めない、疑わしい、怖い。
でも、「怖い」とはっきり口にしたベットは、たぶん一歩前進なのです。
ジョディが、ベットに「さあ歩いてごらん、怖くないよ、ここまでおいで」と、
手を差し伸べたからです。
「怖いと思うことほど、立ち向かわなければならない」とジョディは言います。
泣き出してしまうベットは、ほんとうに赤ん坊のようです。
ジョディの前で弱さをさらけだし、その手の中に身をゆだねます。
一度は、そうでした。
しかし、付き合い始めた途端に、もう相手のことがわからなくなって、
疑わしくなって、怖くなってしまうのです。
シーズン4のラストで、ベットはティナのアドバイスのもと、
(自分ではどうしたらいいかわからないから)
一度はこじれたジョディとの関係を振り出しに戻します。
でも、この時点で、どうやらベットは他者がわからない以上に、
自分がわからなくなっているみたいなのです。
自分がほんとうは何を求めているのか、何が怖いのか。
つまり、彼女が恐れているのは、自分自身なのかも。
ドラマは、いよいよ核心に入っていくことになります。
ベットがベットであるところの自信を取り戻し、
他者を他者として受け入れ、尊重し、
彼女らしく歩いていくために必要なもの、それがなんであるかを、
自分自身で決められるのか否か。
S5の物語の方向性については、薄々は知っています。
で、正直言って、とても不安です。でも、こればかりは観てみなくてはわからない。
安易な結末でないことだけを祈ります。
って結末は、S6まで、さらにお預けなんですよね。
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