2009年10月23日 (金)

The Ferret Chronicles 完結

「消えゆく運命にあった文明が一匹のたったひとつの行動によって

息を吹き返す物語」(リチャード・バック)

 

老年を迎えた、かつての世界的ベストセラー作家リチャード・バック。

「かもめのジョナサン」、誰でも知っていますよね。

でも、彼が新たに生み出した壮大な歴史物語(?)、

「フェレット物語」を知っている人は、たぶん、あまりいないんだろうな。

だって、昨年刊行がはじまったときには、たしかにハードカバーの、

きれいな装丁の単行本「フェレットの冒険」として、シリーズ最初の2作、

「海の救助隊」と「嵐の中のパイロット」を手にしたはずなのに、

今年刊行された3冊は、初めから文庫だった!

いかに最初の2冊が売れなかったかということでしょ。

たしかに、単にフェレットを主人公にした童話風の物語というのでもなく、

哲学っぽかったり、ファンタジーだったりと、一筋縄ではいかない、

妙な物語ではありました。

そもそも、リチャード・バックがペットのフェレットを見ていて思いついた、

というほのぼのとしたイメージで始まりながら、

今回のシリーズ5冊目の最終巻では、フェレットがどこから来たか、

という世界の始まりの物語になっていたり、戦争の記憶やら、ロケットやら、

とにかく予想を超える展開になっての完結だったりして、かなり戸惑い気味。

自分としては、擬人化されたフェレットのかわいらしさと、

第1作「海の救助隊」では海難救助隊、第2作「嵐のなかのパイロット」ではパイロット、

第3作「二匹は人気作家」では作家、第4作「大女優の恋」では映画女優と牧場主、

そして第5作「名探偵の大発見」では超能力を持った探偵というように、

フェレットがさまざまな職業において、「最高の正義」を発揮して、

成長していく姿が、まっとうに、すこぶる健全に描かれていて、

とてもすがすがしい気分で毎回楽しませてもらっていたわけです。

もちろん、そのように読んでいて全然OKだとは思うのですが、

とにかく第5作は、ちょっと難解、かなりの飛躍・・・。

でも、やっぱり、なんだか好きです、このシリーズ。

完結といわず、また密かに再開されることを祈っています。

でも文庫よりもさらに・・・、って携帯小説とかになったら正直嫌ですけど。

ま、そんなことにはならないでしょうけどね。

70歳を越えているらしいけど、がんばれリチャード・バック!

 

「フェレット物語」Ⅰ~Ⅴ(新潮文庫)

リチャード・バック著  法村里絵訳

 

 

| | コメント (0)

2009年10月10日 (土)

個としての自立と愛し合うということ

「あなたたちは、ひとつなのよ」

と、アリスは言いました。

 

ほんとうにお久しぶりです。

「The L Word」シーズン5を、実は少し前に観終えていました。

しかし、シーズン4から、およそ1年。

あまりに待たされすぎて、正直熱も冷めようというもの。

そんな気分で観始めたので、はじめはティナにもベットにもイライラ。

そもそもティナに熱を上げたものとして、ティナの自立、二人の行く末を、

このシリーズのなかで、ずっと見守ってきました。

その答えが、このシーズンにはあるはず、と期待していたのです。

さて、その答えがあったと言えるのか。

正直、いまはなんとも言えない感じなのです。

 

ティナがベットの浮気を契機に迷走をはじめ、ティナとは思えないような行動、

発言を繰り返し、すっかり嫌な女になってしまったショックから、

これは、ティナという女性が、きちんと自立していくための試練の物語なのだと、

自分に言い聞かせて、このシーズンまで耐えに耐えて観て来ました。

たしかに今回のティナは、映画業界で働き、子どもを育て、ときにはデートも楽しむ、

外見的には、とても魅力的な女性に描かれていました。

ティナが結局ベットをあきらめきれず、ベットに戻っていく事はわかっていましたが、

こういう戻り方でよかったのでしょうか。

つまり、友達を裏切る形の、浮気ではないかもしれないけれど、秘め事であり、

後ろめたさはぬぐいきれず、きちんと結論を出さない前に、露呈してしまうという、

もっとも、望ましくない形でのベットとの復縁。

これはないよな~。

やっぱりあのプロデューサーは二人を復縁させたくなかったとしか思えない。

 

シーズン4の頃に、そのプロデュ-サーが、ティナの性格付けとして、

「共依存の傾向がある」ということを言っていた、と教えてもらいました。

これは自分にとっては、ものすごく納得できることでした。

「共依存」というのは、もともとはアルコール依存症の患者と、

その家族の関係に見出された心理学の用語ですが、

要は、人から依存され、その相手を救おうとすることが生きがいになってしまい、

自分がなくなってしまうというか、自分が本当はどうしたいかの主体性が、

まったくなくなってしまう状態を言います。

まさに、コントロールフリークであり、ファザコンで、

大人になりきれない幼児性を持つ、主人公のベット。

彼女を愛し、何よりも彼女のことを最優先に考えて生きてきたティナ。

二人の関係はそういうものでした。

シーズン2の最後に、出産を自宅ですることができず、病院に運び込まれたティナは、

「こんなはずじゃなかった、ごめんなさい」とベットにあやまるのです。

相手の、つまりベットがそうしたかったようにできなかった自分は、

ダメな人間であり、ベットに嫌われてもしかたのない人間だ。

完全な自己否定です。

ティナという女性は、いったんそこまで行ってしまいました。

そこからの自立は、当然困難を極め、あんなこともこんなことも、

しちゃったわけです。

だから、どんななっても、ティナを見捨てたくはありませんでした。

そして、ティナに関して言えば、一人で生きていく自信は、

たしかにつかみかけていたように思います。

付き合っている人はいないの?とベットに聞かれたとき、

「今は、ひとりでいたいの」と、ティナは言います。

その孤独が、ティナが自分を取り戻すために必要な試練だったのでしょう。

自分がほんとうは何を求め、誰といたいのかを知るための、ひとりの時間です。

ティナは、ベットをあきらめきれなかった。

そしてベットは、学習できないベット、同じことを繰り返してしまうベットは、

思い通りにできないジョディに疲れ、ティナの癒しを求めてしまう。

嫌な言葉を使うなら、単なる「腐れ縁」のような復縁は、

とうてい納得できないし、心から祝福できるものではありません。

だから二人は、これから少し苦しんで、ひとを傷つけてまで、

醜態をさらしてまで取り戻そうとしたものの意味を、しっかりと考えて欲しい。

ドラマの中のお友達は、

「あの二人はお似合いね」「運命の相手だもの、昔からね」と、

やけに物分り良いのですが、某プロデューサーのヤケクソなこじつけに聞こえる。

そう言わせとけばいいんでしょ、みたいな。

あ~、また怒りモードになってしまいました。

文章もなんだか支離滅裂ですね。

 

冒頭のアリスの言葉は、ティナとベットがよりを戻していたと知らされ、

驚きあきれた後に、しみじみと言う言葉です。

あなたたちは、ひとつ。片割れ、パートナー。

最後に、共依存のことが書かれていた心理学の本からの言葉を。

 

「共依存は、真の愛情とはどういうものか、お互いに相手を尊重し、

認め合い、個として自立しているということはどういうことなのかを、

われわれに問うているのである。」(大和道和)

 

不満げに書きましたが、シーズン5、萌えシーン満載で楽しみました。

ティナはやっぱりセクシーでかわいい! LOVE!

 

| | コメント (0)

2009年10月 9日 (金)

とーくの日

10月9日になりました。

ちょっと出遅れたけど、お誕生日おめでとう!

どこで、誰にお祝いしてもらっているのでしょう。

 

幸せでありますように。

 

| | コメント (0)

2009年10月 5日 (月)

フェレットのおことば

「頂上までのぼったら、もう山をくだる必要はない。

翼をひろげて、そのむこうに飛べばいい」

 

リチャード・バック著「フェレット物語Ⅳ 大女優の恋」より

 

| | コメント (0)

2009年10月 4日 (日)

月の満ちる頃

昨夜は中秋の名月。

そして今夜は、きれいな満月でした。

月の満ちる頃、二人を乗せた船は・・。

 

なんとまあ、できすぎな。

 

アイーダとラダメスは、ナイルを越えて海へと漕ぎ出すことはできなかったけれど、

「わたしたちは愛し合った。それがすべてよ」

愛をまっとうした二人は、幸せだったでしょう。

 

本日、40回に及んだ「The Musical AIDA」、大千秋楽を迎えました。

自分は、なんでここにいるのか。

大阪に行かなかった自分、これは一生の不覚だったかも。なんて。

 

でも、よかったです。秋晴れの、ほんとうに、とうこ晴れの千秋楽。

無事に迎えられたこと、こうして女優としてのスタートの、ゴールをきれたこと。

あいさつでは、幸せの涙を流したと聞きました。

不安だったんだろうな。

でも、いいキャスト、スタッフに恵まれて、自分は何かに守られてる気がすると。

そこへ行けなかったけれど、ずっと想っていましたよ。

あなたを守る、ちっぽけな一人でありたいと。

 

千秋楽、おめでとうございます。

そして、お疲れ様でした。

終わりは、新しい始まり。

ということで、またしばらくは、待つことにしましょう。

新たな出会いを。

 

| | コメント (0)

2009年9月21日 (月)

幸せになるための「許し」の意味

はじめにタイトルありき。

単に、あとから詳しく書こうという意思表明です。

 

本日、Musical「ジェーン・エア」観てきました。

カテゴリーを選ぼうとしたら、演劇とか舞台とかないことに気づきました。

ここ数年、舞台といえば宝塚しか観てなかったからですね、改めてビックリ。

で、小説も映画も大好きな「ジェーン・エア」だけに、

ミュージカル版には物足りないところも多々あるのですが、

総じて、とてもいい舞台でした。

演出はブロードウェイ版と同じジョン・ケアード。

舞台転換なしで、照明や小道具の出し入れだけで場面を替えていく手法など、

ほんとに感心したし、子役とかやたらうまくて、随所に笑いもあり、

宝塚出身の寿ひずるさんとかもいい味を出していて、

さすがオーデションで選ばれただけある充実したキャストでした。

なにより、主演の松たかこさんは、ほとんど出ずっぱりで、

歌もお芝居もほんとに立派で、才能はもちろん、血筋というか、育ちというか、

すべてにおいて、「演劇界のサラブレット」とは、こういう人のことをいうのだなと、

心から思いました。

二幕目は、物語の波乱万丈をダイジェストしすぎ、

多少流れてしまった感がありましたが、

ラストのハッピーエンドには、やはり感動してしまいました。

惜しむらくは、胸キュンものだった、ロチェスターとジェーンのラブが、

私的にいまいち盛り上がらなかったことで、萌えないっていうんですか、

そこ肝心なんですけど、って感じはありましたね。

盛り上がる曲もあり、音楽(ポール・ゴードン)も魅力的でした。

 

Musical  ジェーン・エア 日生劇場 2009.9.2-29

原作:シャーロット・ブロンテ

脚本・作詞・演出:ジョン・ケアード

作曲・作詞:ポール・ゴードン

出演:松たかこ、橋本さとし、寿ひずるetc

| | コメント (0)

2009年9月14日 (月)

人は誰かのため生きてこそ自分になれる

戦いの果てに、エチオピアの大地にひとり立ち、アイーダが歌う。

ついに追い詰められ、その果てに見えたもの、わかったこと。

「人は誰かのため生きてこそ、自分になれる」

だから、わたしは「愛するのをやめない」。

 

2009年9月13日(日)

「The Musical AIDA」東京千秋楽。

 

カンパニーの一人一人が、その歌声が叫びが、まっすぐに突き刺さってくる。

熱く、激しく、そこに、生きていた。

たった二週間、でもこの二週間で、舞台は進化しつづけました。

きっと、みんなが、役を演じながら、役と向き合うことで、自分と向き合い、

何かをみつけ、何かをつかんだのだと思います。

そして、キャストの心に火をつけるマグマのようなものが、

この作品にはあるのだと、改めて感じました。

宝塚で、女性だけで演じられた作品を、外部で、男性も交えてつくること。

絵空事、きれいごとを身上とする、究極の虚構である宝塚の作品の中に

「リアル」はあり得るのか。

男役のなかに「リアル」を極めようとした稀有な男役である安蘭けい。

もしかすると、それは宝塚では「異端」であったのかもしれない。

でも「リアル」とは、言うまでもなく外に現れるものではない。

人として感じ、生きることのリアルを、とうこさんはいつも演じていた。

だからこそ、今回の、この挑戦であり、冒険とも言える作品を世に問うとき、

とうこアイーダは、まさに戦っていたといえるかもしれません。

それも、自分のためではなく、誰かのために戦い、生きることで、

安蘭けいという「女優」は誕生したのです。

 

いまだ男役・安蘭けいを愛するファンを含め、

国際フォーラムの会場を埋め尽くした観客たちの、とどまることのない拍手と歓声。

何度となく繰り返されるカーテンコールに、満足そうな笑顔が輝いていました。

お互いを見て微笑み合い、オーケストラに拍手を送り、

客席もステージの演者も、みんなが幸福を感じられるすばらしい千秋楽でした。

 

たぶん、とうこさんがはじめた戦い(もちろんそれは、何かを「愛しつづけること」)は、

いま、始まったばかり。でも、とりあえず、

とうこさん、すばらしい再出発、おめでとうございます。

きっと、また大きな夢がみつかります。あなたなら、きっと。

 

大阪公演には行けないので、これが総括です。

(と言いながら、また書きそう)

ファラオ光枝明彦さん、アモナスロ沢木順さん、重厚な演技、歌声、

これぞ、プロの仕事と感嘆しました。

ウバルトおにいちゃん宮川浩さん、狂気さえ感じるテロリスト、

千秋楽、最後のシーンの迫力、圧倒されました。

あと、妹を支えてくれて、心からありがとう。

神官、そして歌唱指導の林アキラさん、美しい歌声と軽妙な演技、

舞台にかかせないスパイスでした。

メレルカKENTAROさん、ケペル角川裕明さん、お二人の歌と演技には、

毎回泣かされました。

ファトマ家塚敦子さん、虐げられたものの魂の叫びのような歌声、

そしてアイーダにそそぐ母のような愛、やっぱり、ありがとう。

そしてアンサンブル、エジプト兵士のダンス、エチオピア人の歌、

女官たちのいじわる、みんなすばらしかったです。

そして、この公演で、もっとも成長を感じた人、ラダメス伊礼彼方くん。

熱く、まっすぐにアイーダを愛してくれて、ほんとうにありがとう。

ファラオになったときのド迫力、そしてラダメス!という叫び。

まさにアムネリスさまでしたよ、ANZAさん!

大阪公演、このままの勢いで、いえ、さらに進化した舞台にしてください。

おっと、うっかり忘れていましたが、オーケストラの指揮・井村誠貴さんは、

東京公演のみなので、ほんとの千秋楽でした。

豪快な指揮でものすごく盛り上げてくれました。ほんとに楽しかった!

ありがとうございました。

 

「The Musical AIDA」大阪公演

2009年9月18日~10月4日 梅田劇場メインホール

 

誰か大阪に連れてって~!

 

 

| | コメント (0)

2009年9月 9日 (水)

3階から見えたもの

今日も、3階から観てきました、「The Musical AIDA」。

3階から観るのは2回目ですが、タイトルはアイーダのナンバー「私に見えたもの」より。

 

中日を過ぎ、舞台の熱気はすごいものがあります。

その熱気が、3階にまでしっかり伝わってきます。

この舞台、観れば観るほど好きになっていく。

3階からだと、あのピラミッドのセットがどれほど効果的か、

照明がどんなに美しいかがよ~くわかります。

そして全体が観えるので、一幕から、いたるところでぐっとくる。

名作の力(脚本・演出 木村信司)みたいなものを感じます。

そして、やはり音楽(甲斐正人)の力。

とにかく、今もさまざまな歌声が脳内をめぐっています。

ファラオの光枝さんからアンサンブルの一人一人に至るまで。

ラダメスの伊礼君や、アムネリスのANZAちゃん、

気持ちが入って、どんどん上手くなってる気がするし。

そして、我がドラマチック・シンガー安蘭けい様。

とうこさんの歌は、誰とも比較できない特別なものです。

聞いているだけで胸が一杯になる。魂が震えるような感動って言うより、

全身にしみわたって、あたたかいものに満たされていくような。

快感っていってもいいし、陶酔なのかもしれないし。

月並みな表現ばかりだけど、ほんとうに心が洗われるし癒される。

一幕最後や、荒廃したエチオピアで歌うソロナンバーは圧巻です。

本来持っている声がすばらしいのはもちろんなんだけど、

テクニックとか声量とかではなく、甲斐先生もおっしゃっていましたが、

その歌に感情をのせることに長けているのだと思います。

今は、この歌を、劇場で聞けることの幸せが、なによりも大きい。

DVDになるらしいので、それはそれでうれしいのですが、

やっぱり劇場で、生で聞く歌声は、もうなんというか天からの贈り物みたいな。

なんて書いているそばから、聞きたくてたまらなくなる。

これはもう中毒ですね。

次は、泣いても笑っても、東京公演ラスト2日の観劇予定です。

 

| | コメント (0)

2009年9月 7日 (月)

女優 安蘭けいです!

宝塚退団後、あいさつの度に、とうこさんは必ずこう言います。

すると、必ずドカーンと笑いが起こる。お約束です。

ファンに限らず、アイーダの製作発表の時でさえ、

これで記者さんたちの笑いをとっていました。

まず、「つかみ」は笑わせて。

これが「お笑トップスター」と言われた、安蘭けいの哀しき性です。

しかも、「女優」をギャグにしてしまうというのは、どうなのか。

でも、そんなとうこさんがとても好きです。

 

昨日は、宝塚退団後、「女優」として初のファンクラブイベント、

「Kei Aran Tea Party」でした。

実は在団中はファンクラブには入らないと決めていたので、

こうしたイベントに参加するのは初めてでした。

つまり、退団後にファンクラブに入ったというわけ。

いや~、噂には聞いていましたが、すごい人人人・・で、女女女・・です。

とにかく、あとから入会して、たぶんぎりぎりで申し込んだので、末席でした。

メインステージはオペラグラスがなければ何も見えないってくらいでしたが、

逆に入場、退場のとうこさんのお姿をかなりの至近距離で拝見!

舞台以外の生とうこ様は、サヨナラ公演の千秋楽の入り以来です。

(パレードのときは人ごみで何も見えなかったので)

綺麗です~、キラッキラッ、颯爽としていて(パンツスタイルでした!)、男前で。

客席を通ってメインステージに行く間の、キャアキャアという歓声もすごくて。

おそるべし、元男役!

ていうか、いい感じに、歩く姿や語り口に男役の名残があり、

いい感じに、ちょっと伸びた髪、はにかむ表情がフェミニンで。

トークは相変わらず面白くて、かわいくて。

そうそう、もう、ほんとうにかわいいんですよ~。

(かなりデレデレと相好崩していたと思う、自分)

引っ越してきたばかりの東京暮らし、

渋谷でJRから井の頭線の乗換えが「意味が分からない!」と憤慨、

自転車の空気が抜けてた話(しかも空気が入れられない!)、

納豆をかき混ぜるのが「料理」と言い張り、

かき混ぜる仕草を「かわいい!」と言われ喜び、

宝塚が恋しい(東京は山が見えないから)と言い、

稽古場が楽しくて、お休みの日もキャストのみんなに会いたくて、

初日の幕が開くのがさみしい(幕が上がれば終わりが見えるから)と、

稽古場に戻りたいと思ったって。

 

舞台のとうこさんはほんとうにすばらしいと思うけれど、

こういう素のとうこさんの魅力って言うか、これはたまらないものがある。

この人を守ってあげたいって心から思わせられてしまう。

宝塚在団中から、「ほっとけないキャラ」と言われていた。

稽古場では常にまわりに人が集まるとも言われていた。

今日、司会をしていた、元宝塚星組の男役、とうこさんのことが大好きな下級生、

嶺恵斗さん、えっちゃんは、今回とうこさんの楽屋のお手伝いもしているそうで、

出番が終わったキャストがとうこさんのところに「虫のように寄ってくる」と言っていた。

それを受けてとうこさんは、「わたし電気?」って。

そうなんだ、外の世界でも、ちゃんと愛されてるんだなと、安心した。

 

まだ覚えてるうちに書き留めておきたいことがたくさんあるんだけど、

とりあえず思いついた順に箇条書きにしておきます。

・「旅サラダ」は、ほんとうは屋久島に行きたかった。

・篠山紀信撮影の写真について、

「今しか撮れないもの、アートとしてすばらしいと思った」

でもファンの人はどう思うか心配で、ファンでいてくれるANZAちゃんに見せてみた。

「どんなとうこさんも好きです!」と受け入れてくれたというと、

すかさず、えっちゃんも、「私も受け入れました!」

・「女優」といったり、スカートを履くのは、自分への戒めだそう。

・最後のあいさつで「安蘭けいは、まだ発展途上だと思います」

・キスシーンについて。外部演出は初めての木村先生、

「宝塚ではほんとうにはしないんですが、外部ではほんとうにするんですか?」

 とスタッフに聞いたらしい。

・初めて(舞台で)男性の厚い胸に抱かれることについて聞かれ、

「あの胸板、男役のときに欲しかった~」

 

 

| | コメント (0)

2009年8月30日 (日)

アイーダの信念・・ではなく。

「The Musical AIDA」は、宝塚歌劇が上演した「王家に捧ぐ歌」をもとにしています。

「王家に捧ぐ歌」は、有名なオペラ「アイーダ」をもとに、日本で(宝塚で)創られた、

オリジナルミュージカルです。で、主役は、エジプトのラダメス将軍でした。

そして今回の主役は、大本に戻って、アイーダです。

宝塚版を何度も見ているという(生でなくてもDVDとかで)ファンにとっては、

まず、宝塚版との違いに、最初はとまどったり、違和感を覚えたり、

または、新鮮さを感じたりと、とにかく比較し、自分の中のアイーダとのすりあわせ、

のような作業が必要となってきます。

なんか、堅苦しい書き方ですけどね。

ファンが求める、見慣れた、聞きなれたものを創れば、喜ばれることは間違いはない。

とにかく、大好評だった作品なのですから。

ところが、この作品に携わった、脚本・演出(木村信司)、

音楽(甲斐正人)らスタッフの方々は、新しいアイーダを創ろうとした。

その精神に、まずは敬意を表したいと思うのです。

オリジナルの基本のストーリーや、セリフは変わらない、でも、

これはまったく違うアイーダなのです。そうしようと、彼らはしたのです。

それは、楽曲のタイトルのつけ方からも明らかです。

宝塚版で「この世に平和を~」と世界平和を歌い上げた「世界に求む」が、

「王家に捧げる歌」に。

アイーダが、「戦いは新たな戦いを生むだけ」と熱唱した「アイーダの信念」が、

「私に見えたもの」に。

もちろん、歌詞も微妙に変わったり、新たに付け加えられたり、

また曲によっては、メロディさえも変わっていたり、

耳に、心に、メロディや歌詞が刻み込まれているようなファンの中には、

その違和感を受け入れられないという人もいるはずです。

でも、作品が違うのです、テーマが違うのです。

単に、女性ばかりで演じていた作品を、男優も演じることで生じる違いではなく、

宝塚の人海戦術、豪華な舞台機構がないことによる違いでもなく。

 

テーマはズバリ「愛するアイーダ」なのです。

「戦いのむなしさ」がより強く表現されたラダメスが主役の作品ではなく、

敵国の将軍を愛してしまったアイーダが主役なのです。

だから、とってもシンプルなのです。

なんだか実感できない大きなものではなく、身近にある小さな幸せ、

ただそれを求め、生きた一人の女性の物語なのです。

女優・安蘭けいの演じるアイーダは、宝塚の男役二番手の時に演じたアイーダより、

もっと強く、もっと凛々しく、まさにアフリカの大地が育んだエチオピアの王女です。

そのアイーダが、祖国と愛する人の間で苦悩しながらも、

「愛するのをやめない」と歌うのです。今回の新曲の一つです。

アイーダの信念、なんて大上段に掲げたものではない。

普通の女性が、普通に求める幸せ。

愛する人とともに生きていくこと。

それが、アイーダが、戦乱の中、憎しみや裏切りや、人が人を虐げ、奴隷にし、

殺し合い、そんな世界の中で見つけた、唯一の真実だから。

最後の二人の祈りは、「愛し合うものが死ななくてもいい世界に」なのですから。

 

初日は、幕開けから、もうウルッときてしまいました。

それは条件反射に近いものだったけれど。

二幕目は、もう。

アムネリスで泣き、ラダメスで泣き、アイーダで泣きます。

みんな、すばらしかったです。

いい共演者で、とうこファンとして、ほんとうにうれしかった。

まだ一回しか観てなくて、初日の緊張もあったので、

二回目が楽しみです。でもちょっと先です。

次は3階席(すっごい高いところだった)から観ます。

たぶんかなり違う景色だろうな。

 

| | コメント (0)

«祝初日!古代エジプトよりアイーダ復活!